ムエタイ挑戦記muay thai challenge
入門と試合への道 PART 1
1998年4月、私は、以前からぜひ習いたいと思っていた八極螳螂武藝總舘日本分舘に入門しました。そして野田先生の下で、螳螂拳と八極拳を中心に練習を続けてきましたが、練習を開始してから数年たった頃、私を含む練習熱心な道場生数人が、野田先生から声をかけられました。
「君たちもグローブ空手の試合に出てみたら」
私は分館に入門する前、名古屋で長拳を習ったことがありましたが、それは表演用のもので、ここで学んでいる闘うための武術とは違ったものでした。まして格闘技と呼べるものを学んだのは高校時代、授業でやった柔道ぐらいのものです。だからその時は、「私なんかが出てもよいのでしょうか。」と思わず先生に問い返してしまいました。
実は当時、内弟子の人たちが、入門して1年くらい経つと練習の一環として新空手の試合に出ることは知っていました。昔、その内弟子の人たちがよく言っていました。「試合に出るとそれまでとは、ぜんぜん変わるよ。一回勝つともっと変わるよ。」
それで何が変わるのか知りたく、また自分の実力を試したくもあり、仲間と共に新空手の試合に出場するようになりました。
しかし新空手は、プロのキックボクサーを目指す人も参加する程、レベルが高く、私もK-3という初級レベルの試合で初勝利するまでに何戦か要しました。それからK-3の試合で何勝かして、自信がついたのでK-2という上のレベルの試合に参加することにしました。しかしK-2は選手層も厚く、非常にレベルが高く、なんとか一勝はしたのですが、その後、仕事が急に忙しくなったことも重なり、連敗が続きスランプに陥ってしまいました。
初めての試合、初めての勝利、それらを経験することによって確かにそれまでの自分とはまったく変わりました。それは何か「自信」のようなものだったと思います。しかし大きな壁にぶつかって、その自信は粉々に打ち砕かれてしまったのです。
そんな時、格闘技雑誌「ブドーラ」誌上で、野田先生、山田編集長、拳真館羽山館長の座談会が行われました。話の成り行きから山田編集長企画の「ムエタイチャレンジ・ツアー」に、八極螳螂武藝總舘日本分舘からも、誰か参加することになりました。
それである日の練習終了後に野田先生からその話が出て「もう君が行くことになっているから。」と言われました。師匠の命令は絶対です。そしてこのスランプを打開しようと思い、「ムエタイチャレンジ・ツアー」への参加を決意しました。
特訓 PART 2
試合に向けての特訓と言うようなものは、あまり行いませんでした。試合形式は3分3ラウンドということなので、まずはスタミナをつけることを第一目標としました。八極螳螂には基本功に10種類の蹴り技がありますが、それを前半(5種類)と後半(5種類)に分け、2分以内に左右合計100回ずつ蹴ることを日課としました。また、仲間と散打を行うときは、1回3分のスパーを休まずに5〜8セット行いました。
次に、ムエタイの選手は打たれ強いと聞いていたので、攻撃力をつけるために八極拳の突きを3種類程練習しました。これは、1種類につき100本を連続で突き続けることを目標としましたが、対ムエタイ用として野田先生から、特別に教えて頂いた衝捶(普通の衝捶とは違います。)だけは激しい動作なので50回ずつしか出来ませんでした。
スタミナを付ける練習は新空手を始めてから続けていた練習の量を増やしたものですが、攻撃力を付けるための突き技に関してはムエタイに向けて特別にやりこみました。
実はこのような格闘技ルールでは筋肉をつけた方が有利と思い、内心ウェイトトレーニングでもやろうか思ったのですが、どうしても中国武術のやり方で勝ちたかったのと、今までの練習の成果を証明するために、あえて八極拳の突き技を徹底的に練り込むことに専念しました。
このような練習を重ねていると、少しずつではありますが今までとは違う感覚が出てきました。いくつかあるのですが、最も不思議だったのは体の中に何かドロッとした液体が対流しているような感覚が練習中に出てくることと、その感じが出るとグローブを付けてスーパーセーフ(胴)の一番硬い部分の上から突いても相手を悶絶させることが出来るようになったことです。
このような体験をして「やはり八極螳螂の武術は凄い!!」と再認識したと同時に、「この状態であればムエタイと渡り合える!!」と確信を得ました。
タイへ PART 3
2004年1月、いよいよムエタイ・チャレンジへ。
タイ・バンコクへの到着は深夜となり、ホテルで1泊してからパタヤにある「ヨートン・ジム」へ向かいました。この時は企画した山田編集長を始め、このツアーに参加する拳真館の羽山館長、その門下生である内田氏、モハンビスタ氏も同行しました。拳真館は、顔面や目突きありのルールで試合を行い、日ごろから超過激なスパーリングをこなしている空手団体です。八極螳螂の人間はスペインで国際合宿があったため私のみの参加です。
昼を少し回った頃に到着し、そこでは2時間程ムエタイの練習を行いました。何故あらためてムエタイの練習をしたかというと、ここにはコーチ兼試合のプロモータがいて、出場する選手の力量を見極めることと、ムエタイとの試合が出来る実力があるか判断するためです。着いた時には現地の人や白人がすでに練習しており、とても緊張した空気が漂っていました。
さて、練習はというと私と拳真館の2人がレッスンを受けました。まずは1人ずつミット打ちを行い、続いて首相撲や幾つかの防御技術を教わりました。3人ともムエタイは初体験でしたが、拳真館の2人はすぐに出来るようになっていました。ところが、私はというとなかなか思うように体が動かず、特にスイッチキックは苦手で最後まで下手くそなままでした。後で聞いた話ですが、そんな私の動きをみたプロモータは「あいつは、なんて蹴りが下手糞なんだ!こんなんで試合できるのか?」と呆れていたそうですが、キックミットでいい音が出てくると「まあ、選手として試合に出れるな。」と認めてくれたそうです。もしかしたら試合に出れなかったかもしれないと思うと冷や汗がでました。
そんな感じでミット打ちが終り、続いて首相撲や防御技術の練習となりました。私は、それまでムエタイとキックボクシングは、似たようなもので大差ないイメージを持っていました。しかし色々と教えてくれたそのコーチが小柄で痩せていて、しかも40代後半と思われるのに、組んでみると巧みに力を外し、巻き込み、受け流していました。この時はムエタイとキックボクシングが、全然別物でどちらかというとムエタイの技術は、中国武術的な印象を受けて見方が変わりました。
試合前夜 PART 4
練習が終わり、パタヤのホテルにチェックインしていよいよムエタイ・チャレンジ!!とその前に夕食を済ませ、山田編集長からのインタビューや、ムエタイの試合運びについて助言を受けたりして試合までの時間を過ごしました。
時間が来て、会場となる「ベストフレンド・バー」へ向かいました。そこはリングを中心に幾つかの飲み屋が集まっており、様々な人種の観客が集まっていました。
リングに立つのは初体験で、足場を確かめながら「とうとうここまで来てしまった。ここで不様に負けたら何のためにはるばる日本からやってきたのか分からないな...。」などと少し不安な気持ちになってきました。
そうこうしているうちに、「対戦相手を決めるから、裏手にある駐車場にいくように」と声が掛かりました。3人とも「駐車場?」と思ったのですが、行ってみるとそこには暗がりのなかに選手と思われる人達が大勢溢れかえっていました。セコンドとかも入れたら100人位いると思います。そんな人ごみの中に3人とも立たされて競り落とす形で対戦相手を決めていました。
周りを囲まれて「なんか奴隷市場で売られている気分だな」と感じつつ、早く対戦相手が決まって精神的に楽になりたいと願ってました。この時はなかなか決まらないので本当にしんどかったのです。そして、やっと最後に自分の対戦相手が決まり、顔合わせをして、選手控え室へ向かいました。ところが、そこは何処かの海水浴場の脱衣所みたいなところで、妙に汚い上に、対戦相手と同部屋でした。さすがにこの時はテンションは下がりきってしまいました。しかし各自思い思いのリラックス法で、なんとか試合に向けて調整していました。
ちなみに、私はいつもの練習で行う「熱身動功」と八極拳の拗歩捶を数回行いました。すると段々とテンションが上がり、いつでも試合OKな状態になってきました。そして、いよいよリングへ入場する時間となりました。
第一ラウンド PART 5
私の試合は何故かメインイベント(?)である3試合目となり、「妙な期待されているのかな?」と変なプレッシャーを感じつつ、同行している拳真館の2人のセコンドの手伝いをして自分の番を待ちました。
それで2人ともKO勝ちしたので、この波に乗って自分も勝つ意気込みでリングに立ちました。ただこの時、まともにファールカップの付け方が分からず、適当に付けていたら他の選手のセコンドらしきおじさんが「おまえ大丈夫か?」となかば呆れ顔で付けてくれました。おじさんありがとうございます。
いよいよリングに立ち、儀式の始まりです。相手は有名な「ワイ・クルー」というムエタイ独特の舞をやっていましたが、当然何も知らない私は代わりに太極拳か劈掛掌を演武するという案もあったのですが、試合まえに緊張で失敗したり疲れたりするのが怖かったので、簡潔に四隅の神々に八極螳螂門の礼である「請」を行いました。
後日、記録映像を見ていた野田先生がその姿をみて笑っていましたが、一体何故なんでしょうか?
一通りの儀式を終え、お互いにルール説明を聞き、礼を行って試合が始まります。この時には吹っ切れたのかもう緊張はしておらず、とても落ち着いていました。そして、体の内面に何か熱を持ったドロドロとした液体のようなものがゆっくりと対流している感じが今まで以上に強く感じられており、なんだか負ける気がしなくなっていました。極度に環境が厳しくなると、精神が特殊な状態になるのかなと考えているうちに試合は始まりました。
ローキックやジャブでお互い距離をとって様子を伺っていましたが、ダラダラとしては気が緩みそうだったので、思い切って相手の懐に入ってボディにパンチを数発叩き込みました。傍から見ると無茶苦茶にパンチを小刻みに連打しているように見えますが、それは拗歩捶と順歩捶を連続し、腕が伸びない距離で打つので少し滑稽な感じがします。
これは確かに相手に効いている感触があり、実際倒れていたのですが、ボディへの打たれ強さを誇るムエタイで、あっさりと倒れるとはレフリーは思いもよらなかったのか、ただのスリップという判定で試合は再開しました。相手選手は腹をおさえていて、無理やり立たされているのに...。
1ラウンドはボディへのダメージが残っているのか、相手はあまり攻撃はしてきませんでした。何発か攻撃をあてたものの、ダウンさせることなくこれで1ラウンド終了です。
決着 PART 6
2ラウンド。さっきとは違って相手は攻撃的になり、隙を見せるとガンガンに攻めてきます。また、試合慣れをしているらしく、上手くロープの反動を使って攻撃に転じたり、組み付いてわき腹へ膝蹴りを応酬してきます。膝蹴りはまともに食らうと非常に危ないので組まれるとすぐに投げるよう心掛けていたのですが、それでも何発かわき腹にもらってしまいました。
少し苦しい状況になりかけたものの、何度かダウンをと取ることが出来ました。「これで形勢を立て直すことが出来る!」と思っていると、相手は無理やり立たされて攻めてきました。この時はムエタイ選手の強靭さを垣間見た気がしました。ちょっと危なっかしい試合展開になってしまいましたが、ダウンは取れたのでなんとか有利な内に2ラウンドは終わりました。
そして最終3ラウンド。ムエタイでは2ラウンドの試合展開でこの回の戦い方を決めるそうです。相手は攻撃をほとんど仕掛けてこなくなり、様子を見るようになりました。また、こちらが攻撃するのを待っているようにも感じ取れたので、油断することなく一気に攻めようと考えました。
一瞬、自分も守りに転じようか迷いましたが、こんな時こそ気遅れが命取りになると思い攻撃しようと決めました。しかし、さすがに疲れが出てきたのか、思うように体が前に出なくなり、数発ローキックを受けてしまいました。幸い、試合中はなんともなかったのですが、翌日にはみごとに右足は腫れ上がり、青痣が出来ていました。鞭のようにしなるキックでしたが、これをまともに胴や首にもらっていたらと思うとぞっとします。
さて、この回にも飛び込んで顔面にパンチを入れてダウンをとったりもしたのですが、ミスや油断に気を付け過ぎたのかあまりパッとした試合にならないまま終わってしまいました。結果は私の判定勝。「ああ、やっと終わった。八極螳螂の面目は保たれた。」と安堵する反面、自分だけノックアウト勝ち出来なかったことが悔しくもありました。
試合が終わってリングから降りると、誰だか知らない人達から「ナイスファイト!」と次々に声を掛けられ、私だけチップを貰いました。「俺ってみんなから負けると思われていたのかな?」と少し落ち込みましたが、これって良い試合だったって事ですよね?
試合中、自分が出した技はあまり覚えていません。後で聞いたり、記録として撮ってもらったビデオを見て初めて気付いたりします。印象的だったのは、螳螂拳の手技がしっかり出ていたことです。特に圏捶・崩捶でこれらは無意識に出していました。1番練習しているものの1部であり、試合前に受けたアドバイスはほとんどで上手く使いこなせなかったので、「昔から一番練習しているものは意識していなくても使える」という言葉は本当なんだと実感しました。ちなみに、崩捶はタイでは珍しいらしく、おじいさんが孫に教えていたと観客の方から聞きました。
この挑戦を振り返ると、いままでの人生の中では冒険した部類になります。いろいろと辛いことや厳しいこともありましたが、とても良い経験になりました。「やれば出来る!!」と実感し、八極螳螂が理屈ではなく、こんなどんくさい自分でもここまでできるということを証明できてとても嬉しく思います。また同時に様々な課題が出来たので、さらに練習に励んでいき、中国武術の真髄に少しでも近づけるよう頑張りたいと思います。
最後になりますが、こんな私ですがいつも指導してくださる野田先生、ムエタイツアーでいろいろとお世話をしていただいた山田編集長、拳真館の羽山館長、門弟の内田氏、モハンビスタ氏にこの場を借りてお礼申し上げます。